江戸時代に活躍した画家の

伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)さん

2016年は生誕300年ということで、

各地で若冲展などイベントが開催されているみたいですね

さらには、11月20日放送のフルタチさん

でも紹介されているみたいですね

個人的には美術には疎いので

残念ながら伊藤若冲さんというお名前は知らなかったですが

伊藤若冲さんの絵は現在のアートに通じるものもあり

現在も人気が高いみたいですね。

今回はそんな伊藤若冲さんについて調べてみたいと思います

目次
  1. 伊藤若冲さんとは?
  2. 伊藤若冲さんは町年寄として活躍?
  3. 伊藤若冲さんの作風は?
  4. 伊藤若冲さんの作品は?
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伊藤若冲さんとは?

portrait_of_ito_jakuchu_by_kubota_beisen

出典:wikipedia

  • 名前:伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)
  • 生年月日:1716年3月1日
  • 出身:山城国(現在の京都の辺り)

伊藤若冲さんですが、京都の錦小路にあった

青物問屋「枡屋」『通称:枡源(ますげん)』

の長男として生まれたみたいですね。

ちなみに枡屋は、

生産者から商品を仕入れて、小売りに売る

というような問屋ではなく

生産者や仲買・小売の商人に場所を提供し場所代をとる

現在でいうところのテナントのオーナー

みたいな仕事だったみたいですね。

仕事の大半は商人たちの関係を調整することだったみたいです。

伊藤若冲さんが23歳の時に、父親の死去に伴い

家業を継いだ伊藤若冲さんでしたが・・・

仕事には全くと言っていいほど興味を示さなかったそうですね

そればかりかお酒や芸事や世間、さらには女性(男性にも)

興味を示さなかったそうです。

興味を持ったのは絵を描くことだけだったみたいです(汗)

そのため、家族はいろいろと大変だったみたいですね

伊藤若冲さんは町年寄として活躍?

伊藤若冲さんですが

40歳で弟に家業を譲り隠居してしまいました。

そこからは、絵をかくことのみに没頭した

と思われてきました。

ですが、最近の研究によると

伊藤若冲さんは町年寄としても活躍された

と言われています。

伊藤若冲さんが隠居した後

錦高倉市場の存続の危機が訪れます。

商売敵であった五条通の青物問屋の策略により

市場の閉鎖を余儀なくされてしまいます。

※奉行所より営業停止の裁定がされてしまったみたいですね

ですが、伊藤若冲さんが奉行所や各方面への奔走した結果

約3年もの歳月はかかりましたが、市場は公認されたみたいですね

そのためなのかどうかはわかりませんが

伊藤若冲さんの作品の中にその時期に描かれた作品はないみたいです

作風や作品については次のページへ